昨夜は夜空にきれいな満月が見えた。「春分の日を過ぎた最初の満月の次の日曜日」が復活祭の日曜日と決められているので、今年は4月9日が復活祭にあたる。それに先立つ今日、金曜日はイギリスではグッドフライデー。月曜日のイースターマンデーまで、復活祭の連休になる。
そんなわけで、復活祭のシンボルでもあるうさぎの絵本を読みたい。
『うさぎさんてつだってほしいの』(原初は1962年)はアメリカの児童書作家シャーロット・ゾロトウのお話に、『かいじゅうたちのいるところ』などで知られるモーリス・センダックが絵を描いた作品。
女の子と、うさぎさんのやりとりだけで展開するお話だ。
人間サイズで二足歩行、そして言葉が話せるうさぎさんは、森の中をひとりぼっちで歩いている女の子の強い味方になる。
モーリス・センダックの幻想的な絵の中には、さまざまな気になるディテールが見つかる。
幕開けは二人の出会いのシーン。
“Mr Rabbit,” said the little girl, “I want help.”
“Help, little girl, I’ll give you help if I can,” said Mr. Rabbit.
“Mr. Rabbit,” said the little girl, “it’s about my mother.”
“Your mother?” said Mr. Rabbit.
“It’s her birthday,” said the little girl.
“Happy birthday to her then,” said Mr. Rabbit. “what are you giving her?”
「うさぎさん、てつだってほしいの」おんなのこは いいました。
「ぼくでよければ てつだってあげるよ」と、うさぎさんは こたえました。
「あのね、おかあさんのことなんだけど」おんなのこは いいました。
「おかあさんのこと?」とうさぎさんは ききかえしました。
「きょうは おかあさんの たんじょうびなの」
「おかあさん おたんじょうび おめでとう」と うさぎさんは いいました。「プレゼントは なにをあげるの?」
女の子は、お母さんにあげるプレゼントを探していて、それに手伝いが必要なのだとうさぎさんに打ち明ける。
そこで、うさぎさんは辛抱強く、女の子に少しずつ質問をしながら、プレゼント探しを手伝う。うさぎさんとのやりとりのおかげで、女の子は、何か赤いものをあげようと思いたつ。
“Oh, something read,” said Mr. Rabbit.
What is red?” said the little girl.
“Well,” said Mr. Rabbit, “there’s red underwear.”
“No,” said the little girl. “I can’t give her that.”
「なにかあかいものねえ」うさぎさんはいいました。
「あかいものって なにがあるかな」おんなのこはいいました。
「そうだな。あかいしたぎは?」
「だめだよ。それはあげられない」おんなのこはこたえました。
うさぎさんがいきなり「red underwear(赤い下着)」を提案するのは、60年代アメリカの空気を反映しているようでもありコミカルな場面なのだが、こだまともこ訳の日本語版では「あかい けいとの はらまき」と、くすりと笑えるように、しかしお行儀のよい親子にも無難に受け止められるように訳されている。
物語の最後、二人は女の子の家に帰り着く。そして、お母さんへのプレゼントであるフルーツ盛り合わせのバスケットができあがったところで別れる。うさぎさんは、やはりコミカルに別れを告げる。
“Good-by,” said Mr. Rabbit, “and a happy birthday and a happy basket of fruit to your mother.”
「さようなら。ハッピーバースデー、それにハッピー・フルーツバスケット」と うさぎさんは いいました。
しかし、センダックの絵を見ると、物語の後半はもう日暮れの後らしく、満月の星空まで見える。家の前で二人は別れるが、窓の中に灯りがついている気配はない。お母さんは本当に、家で待っているのだろうか?
物語を通して、女の子はずっと寂しげな表情で、泣いているところをうさぎさんに慰められているような、うなだれた後ろ姿が描かれている場面もある。それに、誰かがピクニックを中断して逃げ出した後を二人が発見しているかのように見える場面は、とりわけ不穏な空気を感じさせる。
女の子がお母さんへのバースデープレゼントを必死で探していたのはなぜなのだろう。
普通に考えれば、いつもお母さんに何かをもらってばかりだった女の子が、大きくなったので、逆にお母さんに何かをあげたいと思うようになったということだ。素敵なプレゼントを用意するのにお母さんの手を借りるわけにいかない。でも自分だけでは心細い。だから、「うさぎさんてつだってほしいの」となるわけだ。
でも、センダックの絵を見ると、もしかしたら、お母さんは家に、あるいはこの世にいないのかもしれないとも思えてくる。少なくとも、誕生日を一緒に祝えない事情がありそうだ。プレゼント探しは、想像上だけでもお母さんを自分のもとに呼び寄せるための作戦だったのだろうか。
いずれにしても、大きなうさぎが目に見えない友だちという設定は、アメリカの古いコメディ映画『ハーヴェイ』(1950年)を思わせる。
映画は、変わり者の中年男エルウッドに、自分にしか見えない友人の「ハーヴェイ」がいるという設定なのだが、このハーヴェイが大きなうさぎなのだ。
そしてもちろん、絵本ファンには、イギリスの絵本作家ジョン・バーニンガム『アルド・わたしだけのひみつのともだち』を思わせる。みんなに仲間はずれにされてつらい思いをする女の子が、いつもそばにいてくれる秘密の友達、アルドの存在に助けられるという物語だ。アルドは、「うさぎさん」と同様、女の子とほぼ同じ大きさで後ろ足で立っているうさぎの姿で描かれていた。
きっと、『うさぎさんてつだってほしいの』のうさぎさんも、不遇な女の子の秘密の友だちなのだろう。
長い耳のうさぎは、誰も悩みを言えないときでも話を聞いてくれる良い聞き役であり、ふわふわした毛皮、長い手足の姿は、いつでも優しくしてくれて、どこかコミカルな言動で慰めてくれる完璧な味方なのだ。
子どもも大人も、自分にしか見えないうさぎが優しく話を聞いてくれると想像さえできたら、きっと、どんなときでも生きる勇気がわいてくる。