清水玲奈の絵本覚書-翻訳家のノート

ロンドン在住ジャーナリスト・翻訳家が、イギリスで出会い心酔した絵本を深読みします。(旧 清水玲奈の英語絵本深読み術) 英語と、ときどきフランス語、イタリア語の絵本を読んでいます。 一生の友達になってくれる絵本を厳選し、作家の想いや時代背景について、そのとき調べたこと、考えたことを覚え書きしています。 毎月第一金曜日の更新です。 (明記しない限り、日本語訳は私訳です)

誕生日の絵本

心の成長痛の乗り越え方。『うさぎさんてつだってほしいの』

Mr Rabbit And The Lovely Present
Zolotow, Charlotte
Red Fox
2002-01-03



うさぎさんてつだってほしいの
シャーロット・ゾロトウ
冨山房
1974-11-05



昨夜は夜空にきれいな満月が見えた。「春分の日を過ぎた最初の満月の次の日曜日」が復活祭の日曜日と決められているので、今年は4月9日が復活祭にあたる。それに先立つ今日、金曜日はイギリスではグッドフライデー。月曜日のイースターマンデーまで、復活祭の連休になる。
そんなわけで、復活祭のシンボルでもあるうさぎの絵本を読みたい。

『うさぎさんてつだってほしいの』(原初は1962年)はアメリカの児童書作家シャーロット・ゾロトウのお話に、『かいじゅうたちのいるところ』などで知られるモーリス・センダックが絵を描いた作品。
女の子と、うさぎさんのやりとりだけで展開するお話だ。
人間サイズで二足歩行、そして言葉が話せるうさぎさんは、森の中をひとりぼっちで歩いている女の子の強い味方になる。
モーリス・センダックの幻想的な絵の中には、さまざまな気になるディテールが見つかる。
幕開けは二人の出会いのシーン。

“Mr Rabbit,” said the little girl, “I want help.”
“Help, little girl, I’ll give you help if I can,” said Mr. Rabbit.
“Mr. Rabbit,” said the little girl, “it’s about my mother.”
“Your mother?” said Mr. Rabbit.
“It’s her birthday,” said the little girl.
“Happy birthday to her then,” said Mr. Rabbit. “what are you giving her?”
「うさぎさん、てつだってほしいの」おんなのこは いいました。
「ぼくでよければ てつだってあげるよ」と、うさぎさんは こたえました。
「あのね、おかあさんのことなんだけど」おんなのこは いいました。
「おかあさんのこと?」とうさぎさんは ききかえしました。
「きょうは おかあさんの たんじょうびなの」
「おかあさん おたんじょうび おめでとう」と うさぎさんは いいました。「プレゼントは なにをあげるの?」

女の子は、お母さんにあげるプレゼントを探していて、それに手伝いが必要なのだとうさぎさんに打ち明ける。
そこで、うさぎさんは辛抱強く、女の子に少しずつ質問をしながら、プレゼント探しを手伝う。うさぎさんとのやりとりのおかげで、女の子は、何か赤いものをあげようと思いたつ。

“Oh, something read,” said Mr. Rabbit.
What is red?” said the little girl.
“Well,” said Mr. Rabbit, “there’s red underwear.”
“No,” said the little girl. “I can’t give her that.”
「なにかあかいものねえ」うさぎさんはいいました。
「あかいものって なにがあるかな」おんなのこはいいました。
「そうだな。あかいしたぎは?」
「だめだよ。それはあげられない」おんなのこはこたえました。


うさぎさんがいきなり「red underwear(赤い下着)」を提案するのは、60年代アメリカの空気を反映しているようでもありコミカルな場面なのだが、こだまともこ訳の日本語版では「あかい けいとの はらまき」と、くすりと笑えるように、しかしお行儀のよい親子にも無難に受け止められるように訳されている。

物語の最後、二人は女の子の家に帰り着く。そして、お母さんへのプレゼントであるフルーツ盛り合わせのバスケットができあがったところで別れる。うさぎさんは、やはりコミカルに別れを告げる。

“Good-by,” said Mr. Rabbit, “and a happy birthday and a happy basket of fruit to your mother.”
「さようなら。ハッピーバースデー、それにハッピー・フルーツバスケット」と うさぎさんは いいました。

しかし、センダックの絵を見ると、物語の後半はもう日暮れの後らしく、満月の星空まで見える。家の前で二人は別れるが、窓の中に灯りがついている気配はない。お母さんは本当に、家で待っているのだろうか?
物語を通して、女の子はずっと寂しげな表情で、泣いているところをうさぎさんに慰められているような、うなだれた後ろ姿が描かれている場面もある。それに、誰かがピクニックを中断して逃げ出した後を二人が発見しているかのように見える場面は、とりわけ不穏な空気を感じさせる。

女の子がお母さんへのバースデープレゼントを必死で探していたのはなぜなのだろう。
普通に考えれば、いつもお母さんに何かをもらってばかりだった女の子が、大きくなったので、逆にお母さんに何かをあげたいと思うようになったということだ。素敵なプレゼントを用意するのにお母さんの手を借りるわけにいかない。でも自分だけでは心細い。だから、「うさぎさんてつだってほしいの」となるわけだ。
でも、センダックの絵を見ると、もしかしたら、お母さんは家に、あるいはこの世にいないのかもしれないとも思えてくる。少なくとも、誕生日を一緒に祝えない事情がありそうだ。プレゼント探しは、想像上だけでもお母さんを自分のもとに呼び寄せるための作戦だったのだろうか。

いずれにしても、大きなうさぎが目に見えない友だちという設定は、アメリカの古いコメディ映画『ハーヴェイ』(1950年)を思わせる。
ハーヴェイ [Blu-ray]
チャールズ・ドレイク
ジェネオン・ユニバーサル
2012-09-26


映画は、変わり者の中年男エルウッドに、自分にしか見えない友人の「ハーヴェイ」がいるという設定なのだが、このハーヴェイが大きなうさぎなのだ。

そしてもちろん、絵本ファンには、イギリスの絵本作家ジョン・バーニンガム『アルド・わたしだけのひみつのともだち』を思わせる。みんなに仲間はずれにされてつらい思いをする女の子が、いつもそばにいてくれる秘密の友達、アルドの存在に助けられるという物語だ。アルドは、「うさぎさん」と同様、女の子とほぼ同じ大きさで後ろ足で立っているうさぎの姿で描かれていた。

きっと、『うさぎさんてつだってほしいの』のうさぎさんも、不遇な女の子の秘密の友だちなのだろう。
長い耳のうさぎは、誰も悩みを言えないときでも話を聞いてくれる良い聞き役であり、ふわふわした毛皮、長い手足の姿は、いつでも優しくしてくれて、どこかコミカルな言動で慰めてくれる完璧な味方なのだ。
子どもも大人も、自分にしか見えないうさぎが優しく話を聞いてくれると想像さえできたら、きっと、どんなときでも生きる勇気がわいてくる。

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誕生日が来ることの奇跡を教えてくれる『悲しい本』

Michael Rosen's Sad Book
Rosen, Michael
Walker Books Ltd
2011-01-03



悲しい本 (あかね・新えほんシリーズ)
マイケル・ローゼン
あかね書房
2004-12-10



学校からの帰り道、「今日は女王様の誕生日だって先生が言ってたよ」と娘が言う。1年生の「トピックレッスン」では自分たちが暮らす街としてロンドンがテーマになっていて、その一環で英王室についても勉強中らしい。
娘も先頃、6度目の誕生日を迎えた。毎年この日は決まって晴れて春らしい一日になる。桜の花びらが空に舞うと、娘が生まれた翌朝に病院の窓から見えた青空を思い出す。
そして、娘が幼稚園で一緒だった女の子、ジョージアちゃんのことも頭に浮かぶ。ジョージアちゃんは、3歳の春に病気で亡くなった。もう娘はその2回分の人生を生きていることになる。

老いも若きも感慨深い誕生日。そんな折に、最近マイケル・ローゼンにはまっている娘とともに『悲しい本』(原書は2004年)を読んだ。
これは、ローゼンが息子のエディを亡くした悲しみを語った絵本だ。
「愛する人を亡くした悲しみ」という感情を、じっくりと追求している。
イギリスでは英語協会主催の「4〜11歳向け英語絵本」賞(English 4-11 Picture Book Awards)の特別賞を受賞している。

最初のページには、かぎ鼻が特徴的なローゼンそっくりのポートレートが描かれている。
歯を見せて不自然なほど口角をあげているが、目が笑っていない。

This is me being sad.
Maybe you think I'm being happy in this picture.
Really I'm being sad but pretending I'm being happy.
I'm doing that because I think people won't like me if I look sad.
これは悲しんでいる僕の顔です。
絵で見るとうれしそうだと思うかもしれません。
でも本当は悲しいのにうれしいふりをしているだけなのです。
悲しい顔をしているとたぶん周りの人が嫌な思いをするから笑っているのです。

次のページには、灰色の世界をとぼとぼと歩く作者と、すっかり生気を失った顔が描かれる。ここで、息子のエディが死んだという事実が語られる。
作者はありとあらゆる方法で、雲のようにつきまとう悲しみに対処しようとする。シャワーで叫んだり、「人には言えないような」いたずらをしたり。「誰でも悲しいときはある」と自分に言い聞かせたり、楽しいことだけを考えようとしたり。

そして、詩人だから、悲しみについての詩を書くこともある。

I write:
Sad is a place
that is deep and dark
like the space
under the bed
....
When it's high and light
I want to be thin air.

僕はこう書きます。
悲しみはひとつの場所
そこは深くて暗い
まるでベッドの下の
すき間のように

悲しみが空高く昇っていくとき
僕は薄い空気になりたい

いっそ消えてしまいたいと思うときに、目に浮かぶのが、楽しかった思い出。とりわけ、誕生日のことだ。

And birthdays... I love birthdays.
Not just mine- other people's as well.
Happy birthday to you... and all that.
そして誕生日……僕は誕生日が大好きだ。
自分のだけじゃなくて、他の人の誕生日も。
お誕生日おめでとうって言ったり……誕生日の全部が好き。

クェンティン・ブレイクの絵が、明暗をくっきりと表していて見事だ。電気を消した部屋で、バースデーケーキを囲んでろうそくの灯に照らされ、たくさんの人たちの笑顔が浮かび上がる。

And candles.
There must be candles.
それにろうそく。
ろうそくがなくちゃね。

最後のページには、ひとりろうそくの灯を眺める作者の姿が、無言で描かれている。

伝記的事実では、マイケル・ローゼンは3度結婚していて、5人の子どもに恵まれた。そのうち2人目の息子エディーを18歳で髄膜炎のために亡くしている。風邪の症状だと思っていたら、夜自分のベッドで寝て、翌朝には亡くなっていたという。

この『悲しい本』は、エディの死から5年後に書かれた。とりわけ胸に迫るのが、心から笑った幸せなひとときの象徴として、バースデーケーキのろうそくに照らされた誕生日が、悲しみのどん底で思い出されることだ。
影があるからこそ、光は明るく見える。
そして、生きているという奇跡を祝うために、私たちは誕生日を祝うのだ。

マイケル・ローゼン(1946年5月7日生まれだから、もうすぐ誕生日だ)は、2020年3月にコロナウイルスに感染し、一時は集中治療室に入ったが、ファンにとってうれしいことに数カ月の入院を経て回復した。そして先頃、自らが死に瀕した体験を語った詩集『たくさんの種類の愛ー生と死とNHSの物語(原題Many Different Kinds of Love: A Story of Life, Death and the NHS)』を発表した。すっかり死生観が変わったと語っている今、これから子ども向けにはどんな詩を書くのかが楽しみだ。

2022年1月付記:ローゼンはそんなファンの期待にちゃんと応えてくれた。2021年11月に『Sticky McStickstick: The Friend Who Helped Me Walk Again: The Friend Who Helped Me Walk Again(スティッキー・マックスティックスティック: 僕を手伝ってまた歩けるようにしてくれた友だち)』を発表している。

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ロックダウンでも無人島でも、誕生日は楽しい。『ケーキがやけたら、ね』

It's My Birthday
Oxenbury, Helen
Walker Books Ltd
2010-08-02



ケーキがやけたら、ね (児童図書館・絵本の部屋)
ヘレン オクセンバリー
評論社
1995-04-01



人と会えないロックダウンとは、無人島暮らしのようなもの。いつか脱出できる日を夢見つつ、非日常を親子で楽しもうと心がけてきたが、一年以上経つ今も「昔の世界」に戻れる日がいつになるかはわからない。そんななか、もうすぐ娘が誕生日を迎える。昨年に続いてお友達を招いてのパーティーはできない誕生日。

でも、おうちでケーキを焼いて食べるだけの静かな誕生日も悪くない。そう思わせてくれるのが『ケーキがやけたら、ね』(原書は1994年)だ。原題はシンプルに『It's My Birthday(きょうはたんじょうび)』。

懐かしい絵柄の絵本は、表紙をめくると、ギンガムチェックにさくらんぼの柄のテーブルクロスのような模様。そして「It's My Birthday」というタイトルの下に、スポンジケーキにさくらんぼがのっただけのシンプルなケーキの絵が現れる。これだけで、子ども時代の誕生日の幸福感が、大人の胸にもいっぱいに蘇る。

物語の最初のページは、青いサロペットを着たマッシュルームカットの子が登場する。この子が男の子なのか、女の子なのかは示されない。

その子は読者に向かって両手を広げ、にっこりと笑顔で宣言する。
”It's my birthday and
I'm going to make a cake."
「きょうはたんじょうびだから
ケーキをつくるんだ」

物語に登場するのは、にわとり、くま、ねこ、ぶた、いぬ、さる。親もきょうだいも友達も出てこない。
動物に頼んで集める材料は、卵と粉とバターとミルク、それに「塩ひとつまみ」、砂糖、さくらんぼ。
甘さの中にほんのり塩味のきいたお菓子はおいしいもの。この「塩ひとつまみ」というのがたまらなく食欲をそそる。
それに、英語で「with a pinch of salt(塩ひとつまみとともに)」といえば、「物事をうのみにせず、自分の頭で考えて疑うことを忘れずに」という意味だ。だから、自分でケーキを焼くにあたって、この子は慎重さや知恵の象徴である「塩ひとつまみ」を忘れない。
そのおかげで、素朴だけれどおいしそうなケーキが見事完成する。

”Thank you, everybody.
Now all of you can...”
「みんなありがとう。
さあ、じゃあもうみんなは…」

と言いながらケーキを運んでいく。
ちょっとどきりとさせた後で、次のページではちゃんと動物たちとテーブルを囲み、オレンジジュースと一緒にケーキを食べている。結末はもちろん「ハッピーバースデー」。

子どもにとって、料理やケーキ作りは、食べるのと同じくらい楽しい。
私の5歳の娘も、私に「来ないで」と言い渡してからキッチンに一人でこもって、「サプライズ・パーティー」を準備するのが好きだ。冷蔵庫を開けて、にんじんとバナナを切って交互にお皿に並べ、バナナの皮で飾り付けるなど、思いがけない「パーティー料理」を準備する。
子どもは大人に介入されず、自分だけの力で何かをしたいという気持ちを強く持っている。大人はいつも危ないとかこうした方がいいとか言って、邪魔するけれど。

大人が登場せず、子どもと動物だけの世界が展開するのは、ヘレン・オクセンバリーがマイケル・ローゼンの詩に絵をつけた『きょうはみんなでクマがりだ』と同様。
そして『ケーキがやけたら、ね』では、子どもが一人で夢中に何かに取り組む様子が、静かで濃密で極上のひとときとして描かれている。

オクセンバリーは、2021年3月28日のBBCラジオ4局の長寿番組「デザート・アイランド・ディスクス(無人島のレコード)」に出演した。番組は毎回、各界の著名人を招いて、これまでの仕事や人生についてインタビューしつつ、「無人島で暮らすとしたら持っていきたい音楽」や「本」や「贅沢品」を尋ねる。
インタビューによると、舞台芸術の分野で活躍していたオクセンバリーは、絵本作家のジョン・バーミンガムと結婚して子どもが生まれてから、子育てと両立できる仕事として、夜な夜なキッチンテーブルで絵本制作をするようになった。
70年代に当時としては画期的な大人が登場しない絵本を作り始めた。「絵本は子どもが純粋に静かに楽しめるものであるべきで、メッセージを込めることはしない。本を読み続けてもらうために」という哲学も語った。
「無人島」番組では、「あなたにとって理想の無人島暮らしとは」という定番の質問がある。オクセンバリーは「フレンドリーな動物たちが一緒にいてくれたらうれしい」と答えた。親切な動物たちと誕生日を祝う『ケーキがやけたら、ね』は、作者自身の理想を描いた絵本なのかもしれない。

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ぞうのエルマーのちょっと不思議なたんじょうび

Elmer's Birthday (Elmer Picture Books)
McKee, David
Andersen Press Ltd
2020-05-07



『エルマーのたんじょうび(原題Elmer's Birthday)』(2019年)は、『ぞうのエルマー』に始まるシリーズ41作目となる最新作だ。誕生日というテーマは、『ぞうのエルマー』の現在の版が出版されてから30周年の企画にふさわしい。
しかもふつうの誕生日の話ではないところが、またエルマーらしい。

エルマーが朝の散歩に行ってしまったところで、あるぞうが仲間たちに提案する。「あしたはエルマーのたんじょうびだけど、いたずらでわすれたふりをしよう」。
他の動物やエルマーの親戚にも、このいたずらに協力して「わすれたふり」をしてくれるように頼み、うまくいったらケーキをごちそうすると約束する。動物たちは「でも…」と言いかけるが、「でもはダメだよ!」とぞうたちは言う。

”Any trick with cake after is a good trick,”
said a monkey.
"But..." said Giraffe.
"No buts," said an elephant. "Join in, it will be a laugh."
「あとでケーキがもらえるいたずらは、いいいたずらだ」
と さるはいいました。
「でも…」と きりんはいいました。
「でもはダメだよ」ぞうはいいました。「たのんだよ、ぜったいわらえるから」

「誕生日」の当日。みんなはエルマーを避けて通る。しかし最後に、動物や仲間のぞうがみんな集まってくる。

"Elmer, aren't you upset? Nobody has said 'Happy Birthday'."
”But..." said Elmer, "It's not my birthday."
「エルマー、かなしくないの? だれもおたんじょうびおめでとうっていってくれなくて」
「でも…」エルマーはいいました。「きょうはぼくのたんじょうびじゃないよ」

エルマーはあくまでもクール。このあと、エルマーそっくりのカラフルなデコレーションケーキが登場する(食べ物とは思えないくらい鮮やかな色合いだけれど、実際にイギリスにはこういう着色料たっぷりのデコレーションケーキがよくある)。

There was silence and then they all burst out laughing.
"Not bad, elephants. " said Elmer. "It wasn't a brilliant trick.
It isn't my birthday. But... the cake is a winner."
みんなはしずまりかえったのちに、おおわらいしました。
「ぞうたち、なかなかやるね」とエルマーはいいました。「いたずらがせいこうしたとはいえない。きょうはぼくのたんじょうびじゃないからね。でも……ケーキはさいこうだ」

というわけで、「ケーキがもらえるいたずらは、いいいたずらだ」というさるの名言ともつながるハッピーエンド。何かと息苦しい今日この頃、人生これくらいお気楽にいけたらいいのになあと、エルマーや仲間の動物たちがうらやましくなる。

と思っていたら、近所のカフェの店先の黒板に「今日は誰かの誕生日だから、ケーキを食べよう」と書かれていた。この名コピーを書いた人は『エルマーのたんじょうび』の絵本を読んだのかもしれない。

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