清水玲奈の絵本覚書-翻訳家のノート

ロンドン在住ジャーナリスト・翻訳家が、イギリスで出会い心酔した絵本を深読みします。(旧 清水玲奈の英語絵本深読み術) 英語と、ときどきフランス語、イタリア語の絵本を読んでいます。 一生の友達になってくれる絵本を厳選し、作家の想いや時代背景について、そのとき調べたこと、考えたことを覚え書きしています。 毎月第一金曜日の更新です。 (明記しない限り、日本語訳は私訳です)

ジュディス・カーの絵本

『スノーマン』のようなパジャマ少年の物語。『ワニくんとパーティーにいったんだ』

The Crocodile Under the Bed
Kerr, Judith
HarperCollins Publishers
2015-06-02



ワニくんとパーティーにいったんだ (児童書)
ジュディス カー
徳間書店
2015-05-20



『ワニくんとパーティーにいったんだ』(原書は2014年)は、『おちゃのじかんにきたとら』『わすれんぼうのねこモグ』で知られるジュディス・カー(1923〜2019)が、90歳を超えて発表した絵本。
お話にも絵にも、穏やかな晩年の絵本作家らしい優しさがあふれている。

マティは小さな男の子。女王の公式誕生日を祝うパーティーに行くはずだったのに、熱が出たので家で寝ていなくてはならない。
ベッドの周りには、ライオンやワニのぬいぐるみがたくさん散らばっている(これが物語の伏線になっている)。
子守のためにおじいさんが来てくれた。そして、親たちはパーティーのために用意した紙笛を1本渡してあっさりと言う。「じぶんだけでパーティーしててね」と。

Matty said, "I don't want to have a little party all by myself.
And what if I need a drink while you're out?"
Matty's mummy said, "Grandpa will see to it.”
Matty said, "Or what if I need to go to the loo?"
Matty's mummy said, "Grandpa will see to it.”
Matty said, "Or what if there's a big enormous green crocodile hiding under my bed?"
Matty's mummy said, "Grandpa will see to it.”
マティはいいました。「じぶんだけでパーティーするなんていやだよ。
それに、みんながでかけているあいだに、のどがかわいたらどうするの?」
おかあさんはいいました。「おじいさんがめんどうをみてくれるわ」
マティはいいました。「じゃあ、トイレにいきたくなったら?」
おかあさんはいいました。「おじいさんがめんどうをみてくれるわ」
マティはいいました。「じゃあ、おおきなみどりいろのワニがベッドにしたにかくれていたら?」
おかあさんはいいました。「おじいさんがめんどうをみてくれるわ」

両親とお姉さんがあたふたと出かけてしまうと、部屋の中は静まり返る。
おじいさんは新聞を読んでいたが、すっかり眠りこけている。
そのとき、声が聞こえる。「パーティーにいきたい?」
ベッドの下から出てきたのは、大きな緑色のワニ。パーティー用の三角帽子をかぶっている。
マティは翼を生やしたワニの背中に乗って、窓から飛び立つ。

そして、ライオンの王様とお妃様がいる動物の王国でパーティーを楽しむ。動物園と遊園地を足して2で割ったような夢の世界を、マティは思う存分楽しみ、やがて子ども部屋に戻ってくる。

少年がパジャマ姿で子ども部屋を抜け出て飛び立ち、夢の国に行って帰ってくるというストーリーは、ちょっと『スノーマン』を思わせる。でも、物悲しい雪の世界を描く『スノーマン』とは対照的に、夏のお話だし、暑い国に暮らす動物がたくさん登場する陽気な世界。終わりもハッピーエンドだ。

ここで注目したいのが、子守役で呼ばれていたおじいさん。結局、みんなが帰ってくるまで新聞を膝に乗せて寝ていたらしい。昼寝から目覚めた後も、猫(モグにそっくり)を膝に乗せて紙笛を吹いているだけ。
せりふはないけれど、『キョウリュウがほしい』のおじいさんと同様、名脇役としていい味を出している。おじいさんも、夢の中でパーティーに行ってきたのかもしれない。

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イギリスで一番愛される猫『わすれんぼうのねこ モグ』

Mog the Forgetful Cat
Kerr, Judith
HarperCollins Children's Books
2005-05-16



わすれんぼうのねこ モグ
ジュディス カー
あすなろ書房
2007-10T



イギリスの児童文学者ジュディス・カー(1923〜2019)の作品で、1970年に出版された。
作者の死後出版された最終作(2020年)まで、「モグ」シリーズは50年間に11冊出ている。これはその記念すべき第1作だ。

カーのデビュー作『おちゃのじかんにきたとら』に続く2作目。
2冊の本は裏表のような関係にあると、私は思う。
『おちゃのじかんにきたとら』のトラは猫のような仕草を見せていたが、「かわいいけれどあまりかしこくない」めす猫のモグは、平凡な4人家族、トーマス家の飼い猫。
シュールな前作でトラを寛大にもてなした親子とは違って、トーマス家のお父さんとお母さんはモグの罪のない失敗を叱る。これはレアリズムの物語なのだ。

猫を飼ったことのある人なら「猫ってこういうことする!」と言いたくなる場面もたくさんある。
猫は夢を見るらしく寝ているとまぶたをピクピクさせたり、寝言を言ったりすることがよくあるが、モグも同じ。モグの夢の場面では、猫の気持ちについての作者の想像力が存分に発揮される。

She had α lovely dream.
Mog dreamed that she hαd wings.
She could fly everywhere.
She could fly faster than the birds,
even quite big birds...
モグはすてきなゆめをみました。
ゆめで モグにはつばさがありました。
どこでもすきなところに とんでいけました。
とりよりも はやくとべました。
どんなにおおきな とりよりも…

目覚めたモグは、お母さんのお出かけ用の帽子の上で寝ていたために叱られる。
移動したのが、お父さんがボクシングを見ていたテレビの上(1970年当時のテレビは、猫が寝られるだけの厚みがあったのだと、今の子どもには教えてあげよう)。
再び追いやられたモグは、すでに寝ていたデビーのベッドに行き、「まるで子猫の毛のような」デビーの髪の毛をなめはじめる。
そして今度はデビーが夢を見る。トラがデビーを食べようとして、デビーの髪をなめているという悪夢だ(猫がベッドの上に乗ってきて、つい遠慮して寝返りも打てずにいるうちに変な夢を見たことが、私にもある)。

さて、最後にモグは、泥棒が来たことを家族に知らせて面目躍如となる。
警官が駆けつけ、パジャマ姿でお茶を飲むトーマス家の人々が描かれる。ここで謎めいているのが、しゅんとした顔の泥棒もちゃんとお茶をもらって飲んでいることだ。
『おちゃのじかんにきたとら』で家に上がり込んて食料も水もすべて奪っていったトラは、もう二度と現れなかった。
でも、『モグ』で再び、トラは悪夢と泥棒に姿を変えてやってきたのかもしれない。しかし悪夢は醒め、トラならぬ泥棒も改心して一家と和解する。ここで、『おちゃのじかんにきたとら』もやっと完結したのかもしれないと私は思う。

「モグ」は、猫を表すイギリスの俗語「モギー(moggy)」に由来する名前。
作者のジュディス・カーはこの絵本を「私たち自身のモグに」捧げている。
カーの作品はすべて、ロンドン南西部に1962年に夫とともに買ったエドワード朝様式のテラスハウスの自宅で制作された。机で飼い猫を膝に乗せてモグの絵を描いている作者の写真がある。体型も含めて絵本のモグにそっくりだ。
モグの絵は、鉛筆の下絵に薄めたインクで色をつけ、さらにペンと色鉛筆でボリュームを出し、縞をインクで描いて仕上げるという手法で描かれた。とりわけ尻尾のふさふさした感じを出すのに手間をかけたという。猫への深い愛情が感じられる絵は、擬人化しているわけではないのに、顔と体の表情がとても豊かだ。
この辺りの経緯が書かれ、貴重な写真が豊富に掲載された伝記はファン必携。
Judith Kerr: The Illustrators
Carey, Joanna
Thames & Hudson
2019-09-10



少女時代のカーは、両親とともに出身地のドイツを出てフランスとスイス経由でイギリスに移住した。
ペットの猫を飼うことなど叶わなかっただろう。
絵本作家デビューは45歳のとき。娘に聞かせていて何度もせがまれたという「トラのお話」を、下の男の子も小学校に上がって時間ができたときに絵本にしたのが、長いキャリアの始まりだった。
「本当に価値があるのは優しさと、平和で普通の暮らし」という切実な人生観が、作中に貫かれている。

猫は寝てばかりで、好物(モグの場合はゆで卵)ばかり食べるし、何度言っても学ばない。でも憎めない。何にも遠慮せず、媚びず、自由に生きる猫に私たちは憧れ、慰められる。
本物の猫は飼えない子どもも大人も、絵本の中でいつでもモグに会える。

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人生何が起きても怖くない。シュールな絵本『おちゃのじかんにきたとら』

おちゃのじかんにきたとら
カー,ジュディス
童話館出版
1994-09-01



The Tiger Who Came to Tea
Kerr, Judith
HarperCollins
2006-02-06



2020年に特に売れ行きを伸ばした小説がある。
フランスの作家カミュの名作『ペスト』や、イタリアの国民的作家マンゾーニの『いいなづけ』が、時代を超えて病に翻弄される人間について考えさせるとして話題になった。

私的なセレクトでは、絵本なら、やはり古典である『おちゃのじかんにきたとら』を読みたい。
1968年にイギリスで出版されて以来、人気の廃れることのない定番絵本だ。

ある朝お父さんが仕事に出かけた後、お母さんとソフィーが家にいるところに、トラがやってくる。
ふたりはあっさりトラを家に通し、お茶を入れてもてなす。
トラはお茶をポットから飲み、出されたサンドイッチやお菓子だけでなく家にあった食べ物を全部平らげてしまう。

... and he drank all the milk,
and all the orange juice,
and all Daddy's beer,
and all the water in the tap.
…そしてぎゅうにゅうもぜんぶ、
オレンジジュースもぜんぶ、
おとうさんのビールもぜんぶ、
それに すいどうのみずまで、のこらず のんでしまいました。

そして、何事もなかったかのように去っていく。
帰ってきたお父さんに、ソフィーとお母さんが夕ごはんが用意できない事情を話すと、お父さんは微妙な表情で聞いたのち、「カフェに行こう」と陽気に答える。そして、3人は楽しげに腕を組んで夜の町に出かける。
ソフィーもお母さんも、突然やってきた「トラ」に驚くでもなく、冷静に、快く受け入れ、そして名残を惜しむでもなく送り出した。
お父さんも妻子の話を疑うでもなく、むしろ外食の口実ができたことを喜んでいる様子だ。

作者のジュディス・カーは、1923年ベルリン生まれ(2019年に95歳でロンドンで亡くなった)。
父親はユダヤ人演劇評論家・ジャーナリストで、ナチズムを批判する内容の著書は、1933年5月にナチスが燃やした本のうちの1冊だった。また処刑リストに名が載せられたことから、一家はヒトラー政権成立前夜にドイツを出て、スイス、パリを経てロンドンに渡った。

『おちゃのじかんにきたとら』でいきなり家に入り込み全てを奪い取っていくトラは、ナチスの象徴ではないかとする声もあった。
ただし、カー自身はそれを否定して「トラは単なるトラ」と反論している。3歳の娘を連れて、動物園でトラを眺めたことから物語を構想し、娘に繰り返し語ったのちに1年間をかけて絵本を制作したという。

かわいらしい絵も魅力的なこのシュールな絵本をどう読むかは読者の自由だし、絵本はあれこれ理屈を言わずに楽しみたいものだ。
とはいえ、世の中、いつ何が起きるかわからないということを、想像を超えて実感させられている今日この頃。この絵本の物語もただの超現実ではないように感じられてくる。
少なくとも「人生には、ときに自分の力でどうにもならないことが起きるが、そんなときは前向きにフレキシブルに楽しもう」というメッセージが、私たちを勇気づけてくれる。トラを猛獣とみなすか、大きな猫みたいでかわいいとみなすかは、見方次第なのだ。

なお、児童書作家・研究家のキャサリン・ランデルが生前のカーから聞いたところによると、出版社が「水道の水を全部飲み干すことは不可能で、子どもたちが混乱するので、この一節は変えたい」と言ってきた(Katherine Rundell Why You Should Read Children's Books, Even Though You Are So Old and Wiseより)。ランデルは「カーがその部分を変えなくてよかった」と書いている。誰もが同感のはず。

トラが来た翌朝、ソフィーとお母さんは、またトラが来るときに備えて、食料や飲み物、大型缶のタイガーフードを備蓄する。
しかし、トラは二度と来なかった。がっかりしていいのか、ほっとしていいのか。
そんなエピローグの締めくくりには、「GOOD-BYE....」の文字と、朗らかにトランペットを吹くトラの後ろ姿が描かれている。

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