The Giving Tree
Silverstein, Shel
Particular Books
2010-12-02



おおきな木
シェル・シルヴァスタイン
あすなろ書房
2010-09-02



バレンタインデーが近づいたので、愛をテーマにした古典的絵本をまた一冊。
出版から半世紀以上経つシェル・シルヴァスタイン作・絵の『おおきな木』(原書は1964年)ほど、痛烈に「愛」(または、愛のようなもの)を描いている絵本は他にないかもしれない。
原題は「与える木」。日本でも、近年の村上春樹訳を含め、複数の翻訳で親しまれてきたが、本国アメリカを中心に、今に至るまで激しい賛否両論を生んでいる絵本である。英米のアマゾンや読書サイトでは、1つ星か5つ星かをつける読者が多い。
読んだ後に居心地の悪さを感じさせ、大人にも子どもにも終わりのない思考を導く。読み返すたびに、少しずつ印象が変わる。そんな絵本だからこそ、長く読まれているのだろう。

Once there was a tree...
and
she loved
a
little boy.
あるところに、一本の木がありました...
そして
木は
ある男の子を 愛していました。


木はりんごの木で、原文では「she」と呼ばれる。
男の子(最初から最後まで「boy」)は落ち葉を集め、木登りをする。やがて木は実を与え、木陰を与える。
男の子も木を愛するようになる。

でも、男の子はやがて成長する。そして要求はエスカレートしていく。「彼女」と呼ばれる木は、男性(どんなに大きくなって老人になっても「男の子」と呼ばれる)が欲しがるままに、与え続ける。
家族がほしいからと、家を建てるための枝を切っていく。

And the tree was happy.
それで、木は幸せになりました。

という一文が、何かを与えるたびに、繰り返される。
ところがとうとう、物語の終盤に来て、変化が訪れる。

And so the boy cut town her trunk
amd made a boat and sailed away.
And the tree was happy....
but not really.
そこで少年は、木の幹を切り、
船を作り、船出しました。
そして、木は幸せになった....
というわけでは、ありませんでした。


しかし、ちょっと読者がほっとしかけたかもしれないところで、最後のページはまた、

And the tree was happy.
そして、木は幸せになりました。

で終わっている。
そして皮肉にも、黒インクの線画にはすっかり孤独な老人になった「男の子(boy)」が、惨めな切り株に成り果てた木に座って呆然としている様子が描かれている。「幸せ」とは、ほど遠い図に見える。
200語あまりの短さでシンプルなお話には「happy」という単語が何度も出てくるが、それが逆に虚しさ、悲しさを感じさせる。実際、制作当初は「子どもに読ませるには悲しすぎる結末」という理由で出版を断られ続けたという。

『ぼくを探しに』など子ども向けの絵本を数冊残したシルヴァースタインは、漫画家やシンガーソングライターとしても活動していた。この絵本は、子ども向けではなくむしろ大人のための寓話のようにも思える。
冒頭には「ニッキーに捧ぐ」との献辞がある。「ニューヨークタイムズ」の記事によると、元恋人の女性の名前だそうだ。
本当だとすると、この絵本を捧げられたニッキーさんはどう思ったのだろう、とちょっと心配になる。

作品について、シルヴァスタイン自身は多くを語っていない。
「ニューヨーク・タイムズ」1976年4月30日付のインタビューでは「一方が与え、他方が奪うというふたりの関係」を描いたものとだけ述べている。
ただし、悲しい結末にこだわったことだけは確かなようだ。当時自分も親になって子育て中だった彼は、ハッピーエンドや魔法で問題を解決するようなお話は「子どもに疎外感を与える」と語った。「子どもは、どうして私にはこの幸せがないんだろうと思い、うれしくないときは失敗した、もうだめだと思うようになるのです」

作者の思惑を離れてよくなされている読み方が、母性による無償の愛と、母親にとっては永遠の子どもである男性の姿を表現しているというもののようだが、「彼女」のマゾな行動は、思いやりに基づいて子どもが自立した大人になれるように育てる母性愛とは、どうみても異なる。
7歳の娘は原書でこの絵本を読み終わると「ちょっと悲しい」と言った。私が「お母さんと息子の話だと思う人もいるみたい」と言ってみると、驚いていた。文字通り木を大切にせず、そして成長することを知らない「男の子」の悲劇として読んだらしい。

表紙の絵では、まるで手を差し伸べるかのように枝を伸ばした大きな木から、りんごが一つだけ、両手を出した男の子の方に落ちてきている。聖書の「知恵の果実」を思わせる。木の下で無邪気に暮らしていた男の子は、それを食べたばかりに知恵を身につけて楽園を追放されたのだろうか。だとすると、人間の文明(ひいては環境破壊)に対する批判としても読める。
でも、結局、答えは書かれていない。娘も私も、また数か月後、あるいは数年後、この絵本を読み直して新たな読み方をするかもしれない。

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