サー・マイケル・モーパーゴ(1943年〜)による絵本『There Once Is A Queen』(2022年)は、プラチナ・ジュビリーを前に出版されたばかりの作品。
マイケル・フォアマンによる繊細な水彩画が、詩のような文章にぴったりだ。
モーパーゴは、映画『戦火の馬』(2011)の原作者であり、動物を題材にした児童文学などを多数発表している。英国では国民的な作家だ。
序文には、著者の熱い思いが語られている。
この序文の書き出しは「There once was 」で、「むかしむかしあるところに」という物語の書き出しの決まり文句だけれど、絵本の題名は「There Once Is」と現在形になっている。「女王の存在は、今まさに私たちの目の前で作られている歴史」という感覚を表したものだと思われる。
There once was a little girl, a princess, who never expected to be queen. But then, when she was very young, she did become queen, our queen. It was she whose life and work inspired me to sit down and write this story. She has been queen for longer than any other queen- or king, come to that- of this country. All my life, she has been there, been part of the landscape of our lives, a constant and reassuring presence in a rapidly changing and often unsettling world.
I very much wanted my story to play a small part in the celebratino of the Queen’s Platinum Jubilee in June of 2022(…)
Michael Foremαn and I should like to dedicate this book to Her Majesty The Queen, in gratitude, in affection and in admiration.
昔むかし、あるところに、まさか自分が女王になるとは思ってもみなかった一人の少女、王女がいました。でもやがて、若くして女王になったのです。私たちの女王です。この物語を書く原動力となったのは、女王が歩んできた人生と果たしてきた仕事でした。私たちの女王は、英国のどの女王や王よりも長年にわたって女王であり続けてきました。私の人生を通して、女王はずっとそこにいて、私たちの生活の風景の一部でした。急激に変化を続けていて不安が訪れることも多い世の中で、女王はいつも変わらず心強い存在でした。
2022年6月に行われる女王のプラチナ・ジュビリーのお祝いに、少しでも役立てればという願いを込めて、この物語を書きました(…)
マイケル・フォアマンとともに、感謝、愛情、賞賛の気持ちを込めて、この本を女王陛下に捧げます。
絵本は、自然や動物が大好きだった少女時代から、女王の人柄にスポットを当てながら、さまざまな事実を描いていく。
たとえば有名な逸話だが、第二次世界大戦が終結した日、エリザベス王女は妹のマーガレット王女とともに、お忍びで街のストリートパーティーに繰り出した。戦争中は14歳にして国民にラジオで励ましのメッセージを呼びかけた王女だが、テレビがなかったので、ふつうの人は王女の顔をよく知らなかったようだ。
That night, the princess crept out of her palace, which she was not really suppsed to do, and danced in the streets in amongst the crowds, and had a fine old time in amongst the people.
And no one knew who she was.
She was one of them, a girl again, not a princess.
その夜、王女さまが本当はしてはいけないことだが、宮殿を抜け出して、人ごみにまぎれて街で踊り、ふつうの人たちと一緒に楽しいひとときを過ごした。
そして、誰にも気づかれなかった。
王女は、その夜は周りの人たちにすっかりとけこみ、一人の少女に戻ったのだ。
まるで「ローマの休日」のような一幕は、想像するだけでも楽しい。
プラチナ・ジュビリーでも、全国の2万か所でストリートパーティーが予定されている。女王やプリンセスがお忍びで行くことはないとしても。
その後結婚と赤ちゃんの誕生を経て、1952年、アフリカ訪問で大好きな動物たちを見るなど人生最良の時を過ごしていたエリザベス王女は、父王の崩御の知らせを聞き、即位のためイギリスに帰国した。
そして即位の翌年、戴冠パレードが行われた。
There might have been grey clouds and the rain,
but for that day at least the people could forget their troubles.
They had young and beautiful queen with a radiant smile that warmed their hearts.
It felt to them like a new age being born,
that everything would be better,
would be all tight.
空を灰色の雲が覆い、雨も降ったかもしれない。
でも、少なくともその日だけ、人々は悩みを忘れることができた。
若く美しい女王が、輝くような笑顔で、人々の心を温めてくれた。
そこに、人々は新しい時代の到来を感じた。
未来にはすべてが良くなる。
すべてがうまくいく。
この戴冠式(1953 年6月2日)から69年後の昨日、2022年6月2日。
プラチナ・ジュビリーのパレードは同じように沿道を埋め尽くす観衆に迎えられた。女王は馬車に乗ることはなかったが、バルコニーから手を振った。
それでも、96歳にしてなお若々しい女王の笑顔に、イギリス人は「少なくともその日だけ、悩みを忘れることができた」かもしれない。
絵本の終盤で、モーパーゴは、シェイクスピアを引用する。
That crown of hers looks heavy, never easy to balance.
Didn't Shakespeare say it?
"Uneasy lies the head that wears a crown"?
王冠は見るからに重くて、バランスをとるのはけっして簡単ではない。
シェイクスピアも言っていたではないか。
「王冠をかぶった頭は落ち着かない 」と。
これは『ヘンリー四世』第二部第三幕第一場で、眠れないほど苦悩にさいなまれたヘンリー四世がつぶやくセリフだ。
エリザベス女王の在位期間は、イギリスが大英帝国の残照から出発して大きな変革を遂げた時代であり、また王室内のスキャンダルにも事欠くことがなかった。そんな事実を、モーパーゴはこの引用に凝縮させている。
戴冠式には2キロの重さのある王冠をかぶったエリザベス女王だが(砂糖袋を頭にのせて練習したとも言われている)、数年前からは王冠をかぶることがなく、儀式の際は王冠が近くのクッションの上に象徴として置かれる。
この王冠の絵は、小さいけれども精巧に美しく描かれていて象徴的だ。
最後のページでは、王冠の代わりに黄色いスカーフを被った女王が、車いすの子やさまざまな肌の色の子どもたちと交流する様子が描かれている。
モーパーゴはそんな女王を「granny-queen」、つまり「おばあちゃん女王」と、親しみを込めて呼ぶ。
今ロンドンで本屋さんに行くと、この作品も含めて、エリザベス女王が登場する絵本や児童書が何十冊も並んでいる。フィクションもノンフィクションもあり、さまざまな作家とイラストレーターによる女王の姿はどれも個性豊か。イギリス人がエリザベス女王に深い思い入れと愛着を感じていて、そしてそれを未来の世代に伝いたいと願っていることが伝わってくる。